昨日もサーフィンで、とっても楽しかったー!
という気分にならなかった。
ここ最近ずっと。混みすぎ。
昨日は混んでなくて、いつも海で会うサーフィン大好きな男の人と
楽しい波だねーとか言いながら途中まで楽しかったのに、
最後の最後インサイドでおじさんに突っ込まれた。
そのまま乗っていってくれれば全くトラブルにもならなかったのに、
私の目の前を通過途中でワイプアウトした。
思いもせずのアクシデントに慌ててダックダイブしたけど、
彼の乗っていた7FTくらいの厚めのボードが私の背中を直撃。
ともに巻かれて、私が痛みにうなっているのも見たにも関わらず、
そそくさと沖へ逃げていった。
”ともに巻かれて”という所が引っかかったけど、
気づかなかったのかもと前向きに捕らえ、
そのまま海からあがろうとした時、
彼が自分のボードをひっくり返して傷がないかよーーーく見ていた。
ボードがあたったの知っていたんだね。
最低。
自分のことしか考えていない。
子供なら、20歳そこらの人ならまだわかる。
私もまだ小さいけど、20歳の頃はもっと小さかったし。
彼は白いひげを生やした60歳くらいの人だった。
ウエットスーツを2枚重ねて着ていたので、大きな傷にはならなかったけど、
背中にはばっちり赤いラインが10センチの長さで残って、
ばっちりと腫れた。
ちなみに一番上に着ていたウエットスーツは破れていた。
悲しい寂しい人生を歩んで来た人なのか、きっと幸せではないのだろう。
かわいそうな人。
私から見たら妨害していなくても彼の目線から見たら私が障害物になったのかもしれない。
サーフィンは海を共有して、上手な人から練習中までいる。
妨害したりされたりはお互い様だと思う。
でも、人に怪我をさせたかもしれないという状況でその人が気にならないというのは
不思議でたまらない。
いつも何気に観察していることがある。
海の傍の歩道を人がたくさんすれ違いながら歩いていて、
こっちは一人、対面から来る人は3人横に並んで歩いている。
すれ違う時どちらがよけて芝生の上を歩くのかというと、
ほとんどが一人で歩いている私。
私のパートナーは、人がお金のことや地位、名誉、見た目、などに
こだわっていて、自分さえよければいいという人が多いのにまいっていて、
社会から離れ、静かな人の柔らかい場所へ行きたいとずっと言っている。
私は彼のような自分が犠牲になっても人を助けたいというとっても広い心を
持っているわけではない。
でも最近思う。
この土地は住みたい場所ではない。
こんな私でも感じるのだから、彼には苦痛でたまらないだろう。
この町はミーハーな人が多すぎる。
住んでいる人というより訪れる人が多いのだけど。
決して都会ではないのに。
都会には頭が痛くなるので10分しか行けないけど、ここも無理になってきた。
自宅が素敵な事と、いい波でサーフィンさせてもらえるのは最高だけど。
そんなことを考えながら、
昨日、牛乳を買いに行ったときにもらった
フリーの新聞に興味深い記事を見つけて読んだ。
彼女は ドキュメンタリー シャークウォーター を撮った人と全く同じ事を訴えていた。
苗字が一緒で、職業も同じアンダーウォオーターカメラマンだったから
妹かもしれない。
私はドキュメンタリーをすでに見ていたのでその現状は知っていたが、
彼女はドキュメンタリーでは触れられていなかったオーストラリアのことも書いていた。
世界中でサメが殺されていて、ある種は99%絶滅した。
サメは400万年前から存在し、海の食物連鎖のトップとして海のバランスを保ってきた。
おいしくもない、栄養素としても何も認められていない
高級なものを食べているという人間のくだらない見栄のためのフカヒレを
取るために、ガラパゴスなどサメの多くいるところで大量の密漁が行われている。
サメを捕まえてはフィンだけを切り取り、生きたまま体を海へ捨てる。
サメは泳げなくなった体でどうすることもできず、
ただ血が流れ、酸素がなくなっていき、じわじわと死んでいく。
何でこのサメたちは絶滅の危機にもなりながら未だ命を失わなくてはいけないのか、
お金のためでしょ。
そして、ここオーストラリア グレートバリアリーフでもサメが殺されている。
これは密漁ではなく、政府が認めた合法な漁だが、
2009年には75000頭ものサメが殺された。
グレートバリアリーフの世界遺産にあたる部分はタスマニアの5倍のサイズ。
(北海道の5倍くらいだと思う)
彼女がサメを撮影した翌年にはサメが一匹もいなくなっていたそうだ。
なぜサメは殺され続けているのか。
人を殺すから?
彼女やシャークウォーターの監督の調査によると、
サメに襲われて死ぬ人は、ココナッツの実が落ちてきたのにあたって死ぬ人よりも低く、
自動車事故で死ぬ人よりも何百倍も低かった。
実際、オーストラリアで生活しているとシャークアタックのニュースは良く聞く。
彼女達は 死亡率 を出しているので低く感じるが、
シャークアタックに遭い、大怪我をする人は、もっと高い確率なのは間違いない。
だからといってサメを見たという人が皆襲撃されているわけでもないのも事実。
海はサメがいるから危険、でも海で遊びたい、だからサメを大量に殺す。
サメだらけで誰も海に来ないと
サーファーは減る、ダイバーは減る、海水浴に来る人も減る=お金を作れない。
という背景は絶対にあると思う。
海という世界を共有させてもらうのは私たちで、
全ての危険を含めて サーフィン なり ダイビングだと思う。
もしサメを殺さなくて、海がサメだらけでサーフィンが危険なら、
私はサーフィンをしないか、サメは人間を食べないを信じてたまにするかもしれない。
でも彼らの世界を完全に破壊してまで自分が安全に楽しみたいとは思わない。
誰かが苦しんでいても自分が良ければいいの??
私もこの進化した人間世界を生きる一人で、
コンクリートの道を運転する車も所有し、
ゴミを作ったり、日焼け止めやワックスで海を汚したりしている。
この私の便利な生活の背景には犠牲になっている地球のものもたくさんあるだろう。
私は原始時代の様な生活をしようと思っているわけではない。
車やコンピュータなど、
便利なものを作り出した人はすごいなぁと思うし、ありがたい。
多くの場合、進化には、犠牲になるものもあると思う。
人間同士傷つけてしまったり、傷つけられたりってある。
共存していくなかで、相手を全く傷つけないというのは難しいと思う。
だけど、皆で共有しているものだと自分以外を思いやって生きなくてはいけないと思う。
お金を目の前にぶらさげられても
決して揺るがないような思いやりがないと、
どんなものとも共存なんてするべきでないと思う。
お金のためにサメを絶滅になるまで殺し続けている人たちは
悲しむのはサメで自分たちでないので良いと思っているのかもしれないが、
サメが絶滅してしまったら、海中の食物連鎖は狂い、
自分たちの生活にも大きな影響がでることまで考えているのだろうか。
考えていないと思う。
自分が良かったらいいんでしょ。
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